病院船氷川丸
氷川丸の艦歴のみ掲載です。
昭和4年 4月 15日 横浜船渠(現・三菱重工)にて竣工
昭和5年 5月 氷川丸、処女航海。評論家の鶴見裕輔氏が乗船し、洋上公園を行う
1941年 11月21日 海軍徴用となり(海軍期間用船)となり横須賀に回航
横須賀海軍工廠おいて特設病院船への工事が行われる
12月 1日 工事開始
21日 工事終了
横須賀鎮守府所属となる
23日 午後1時半 横須賀出港
31日 マーシャル諸島ルオット島到着 輸送船「海平丸」からウェーク諸島攻略戦で負傷した患者を収容。
1942年 1月 2日 トラック諸島へ向かう
5日 トラック諸島に到着 2月1日まで停泊。16日に米爆撃機の攻撃にあうが被害なし。クェゼリン ルオット ウォッジェ タロア クェゼリンに寄港する
2月16日 横須賀到着 病院船としての第一次航を終了。
2月22日 横須賀を出港しトラック諸島へ向かう。トラック→パラオへの命令が下る。急遽ラバウルへ向かえとの命令を受け向かう。
3月10日 午後三時半 ラバウルに到着
18日 ラバウル出港 ラバウル→トラック→グアム→サイパンの針路をとる
4月5日 横須賀帰港 第二次航終了。横須賀で改装工事
18日 ドーリットル爆撃(空母艦載機による日本本土爆撃)の爆撃機の攻撃を受けるも被害なし
25日 改装工事を終え、横須賀出港 連合艦隊所属となりトラック諸島へ向かう。
1944年ごろ 日本が戦況不利となっていき、このころになると病院船全般がそれであることを利用し、軍の司令官、部隊長から軍隊や弾薬の緊急輸送を求められるてゆく。氷川丸はこれを断固拒否
1945年 8月 舞鶴海軍工廠にて第二氷川丸とともに終戦をむかえる。航海日誌などが焼却処分される