世界の艦艇

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駆逐艦「橘」


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駆逐艦「橘」、それは函館空襲の記録から、今もなお空襲の記録から黒く塗りつぶされている艦船である。

 

駆逐艦「橘」は太平洋戦争末期の1945年に生まれた松型駆逐艦であり、対空戦闘を主眼に設計、運用された艦船で艦長は林利房少佐。

そして、詳しいく調査しないとわからないが、同じ松型駆逐艦「柳」とともに、大艦巨砲主義の象徴の「戦艦大和」に随伴し、菊水作戦に投入される予定だったという。

これは私の推測ですが、菊水作戦に投入される理由は、戦艦大和の護衛、防空、おとりとしての役目ではないかと思います。

 

しかし、5月7日、大本営から「駆逐艦「橘」は「柳」ともに、大湊警備府に向かい、北海道と本州を結ぶ海上交通路、輸送船を護衛せよ」との命令が下り、大湊警備府に編入された。

途中、八戸沖、付近で判明してないが米海軍の潜水艦と邂逅し、対空戦闘の装備を主とする「橘」は爆雷を投下、しかし、撃破はできず逆に雷撃を受け艦は損傷。幸い沈没する損傷ではなかった。

 

そして、運命の7月14日がやってきた。あの函館空襲である。

14日未明4時40分大湊警備府から北東方面本部に「敵機動部隊0450より5時50分F6F三群6機40機150機八戸三沢大湊北海道各地区に分かれ、銃爆撃中」という通信が入る。

 

 

 

5時00分 本州方面から米軍の戦闘機「グラマン」爆撃機「セルコア」「ウォード」の群れが来襲。函館に爆弾の雨と銃撃の雨が降る。

 

6時00分 函館港から「橘」が出港。米軍機との戦いが始まる

米軍機の攻撃により対空砲は故障、機銃による対空戦闘をこころみるが、目立った戦果あげられず、誘爆回避のため、爆雷などを水中放棄、米軍機の爆撃、銃撃により、機銃手はバタバタと倒れていき、甲板は人間の血で滑りやすくなっており、まさに「血の海」と元乗組員は証言している。

6時00分~40 「橘」は、函館湾を出たり入ったり、8の字型の航路とりを繰り返し米軍機と交戦していたと見られる

 

 

 

6時40分 米軍機の爆撃が致命弾となり北斗市葛登支灯台、東約3.40km付近にて「橘」沈没 乗組員の280名中140戦死 戦傷者31名 戦果:敵機6機撃墜、1機撃破の勇敢で孤軍奮闘艦の最期であった。

 

同時間、福島町で米軍機と交戦していた「柳」は「橘」から、「ワレゴウチンス」との電文を受け取る。

そして、戦後に引き上げられた際には、通信室から遺骨が見つかったという。

 


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 戦後、林艦長は海上自衛隊に入隊し、護衛艦「うらなみ」の艦長を勤め、隊内、乗組員、防大生から「海上自衛隊随一の操艦技術」と評判だったという。

※推測ですが函館湾で8の字型の航路をとれたのは、林艦長の技術の賜物とはいえるかもれしない

 

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