世界の艦艇

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USS マハン(DD-102)

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起工 1918年5月4日

退役 1930年5月1日

 

                 主要目 

 

トン数 1060トン

速度35ノット

機銃

12×12 魚雷

初代マハン級駆逐艦は1918年5月4日に起工され、進水式の際にはアルフレッドマハンの姪が招待され、1920年には機雷敷設艦に換装され、その後はパールハーバー演習に参加、試験艦を経てのち退役、売却、スクラップになりました

 

【特徴】

4基の排煙筒

 

病院船氷川丸

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氷川丸の艦歴のみ掲載です。

 

昭和4年 4月   15日 横浜船渠(現・三菱重工)にて竣工

 

昭和5年 5月  氷川丸、処女航海。評論家の鶴見裕輔氏が乗船し、洋上公園を行う

     

1941年 11月21日 海軍徴用となり(海軍期間用船)となり横須賀に回航

             横須賀海軍工廠おいて特設病院船への工事が行われる

      12月 1日 工事開始

         21日 工事終了 

             横須賀鎮守府所属となる

         23日 午後1時半 横須賀出港 

         31日 マーシャル諸島ルオット島到着 輸送船「海平丸」からウェーク諸島攻略戦で負傷した患者を収容。

1942年  1月 2日 トラック諸島へ向かう

          5日 トラック諸島に到着 2月1日まで停泊。16日に米爆撃機の攻撃にあうが被害なし。クェゼリン ルオット ウォッジェ タロア クェゼリンに寄港する

       2月16日 横須賀到着 病院船としての第一次航を終了。

       2月22日 横須賀を出港しトラック諸島へ向かう。トラック→パラオへの命令が下る。急遽ラバウルへ向かえとの命令を受け向かう。

       3月10日 午後三時半 ラバウルに到着

         18日 ラバウル出港  ラバウル→トラック→グアム→サイパンの針路をとる

        4月5日 横須賀帰港 第二次航終了。横須賀で改装工事

         18日 ドーリットル爆撃(空母艦載機による日本本土爆撃)の爆撃機の攻撃を受けるも被害なし

 

         25日 改装工事を終え、横須賀出港 連合艦隊所属となりトラック諸島へ向かう。

1944年ごろ       日本が戦況不利となっていき、このころになると病院船全般がそれであることを利用し、軍の司令官、部隊長から軍隊や弾薬の緊急輸送を求められるてゆく。氷川丸はこれを断固拒否

1945年   8月   舞鶴海軍工廠にて第二氷川丸とともに終戦をむかえる。航海日誌などが焼却処分される

 

給兵艦「樫野」

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スペック

1940年7月竣工

基準排水量 10360トン

全長    138メートル

全幅    19,9メートル

主機関   タービン 最大4500馬力

最高速力  14ノット

「樫野」の建造目的は呉工廠から大和型戦艦の砲塔などをそれを建造している各地の工廠に輸送されるためだけに建造された海軍唯一の「給兵艦」であり「運送艦」

表向き「給兵艦」となったいますが、これは理由があり、それは「樫野」は先に書いてあるとおり「大和型戦艦」の砲塔などを運ぶためであり、大和型戦艦の建造をカモフラージュするためだったのです。

主な航跡(任務記録)

1940年、戦艦大和の2番艦「武蔵」の3基の主砲砲身、砲塔、15センチ砲塔を

呉から長崎に輸送する任務で呉と長崎を3往復かけてすべて輸送。

しかしこの任務が「樫野」の「給兵艦」として最初で最後の任務となり、なぜなら大和、武蔵、とつづく「信濃」が空母への改造が決定し、いらなくなってしまったのです。その後はその大きな船体を利用し輸送船として国内や台湾で石炭などを輸送する任務につき、1942年7月に台湾から九州の八幡に向かう途中、米潜水艦「グラウラー」の雷撃を受け台湾北部にて沈没 

 

出典 歴史群像2001年 10月号 特務艦艇入門 大内健二

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陸軍特殊船(1) 砲運丸

明治期ロシアなどの脅威が迫る中、明治政府は日本各地に要塞をつくることを決めました。しかし、資材、火砲を工廠施設から要塞へ運ぶ特設艦が必要なりました。

そこで建造された軍用船が「特殊貨物船 砲運丸」です。

1889年 川崎造船で起工。

 

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「スペック」

排水量   531トン

全長    160m

出力    241馬力

最大出力   9ノット

 

40トン大型デリックを備え付けた、珍しい船で明治年末まで要塞建設に従事しました。

要塞建設の役目を終えた「砲運丸」は重量物運搬船として第二の航跡をあゆみ、

太平洋戦争の戦火を生きながらえました。

 

 

出典「歴史群像シリーズ 日本の要塞」

 

日本の要塞―忘れられた帝国の城塞 (歴史群像シリーズ―日本の戦争遺跡)
 

 

海防艦「占守」スペック

基準排水量 860          →   追加装備など

公式排水量 1,200

全長    78,00

水平線長  76,20

最大巾    9,20

深さ     5.70

吃水     3.05

速力    19.70

軸馬力   4、050 

航続力   16ノット/D×2

主機(型式×基数) 艦本ホ号×2

軸数      2

缶(型式×基数)   艦本ホ号×2

燃料搭載量         220

備砲(口径、連装×基数)    12I×3

機銃(口径、連装×基数)    25II×2→  25III式×25I×2~6

爆雷投射機(型式×基数)    94式×1

爆雷装填台(型式×基数)    3型×1

爆雷搭載機(型式×基数)    95式×18

電波探信機(型式×基数)            →22号電探×1,13号電探×1

電波探知機(型式×基数)            →逆探×1

水中探信機                 →3式2型×2

水中聴音機                 →93式×1

乗員数(計画定員)         147名

第1艦完成年月    昭和15年.0630

完成艦数         4 隻

 

イスラエル海軍補給艦「テマ・スター号」

この艦が建造されたのは昭和54年

発注元はイスラエル海軍、造船会社は函館どつく

巧妙に発注元は隠されており、ある会社を通じてイスラエル海軍は函館どつくに建造を依頼した。その証拠は「亀は陸を走れるか 函館どつく」から引用する。

「会社側は受注先について口をにごすが、全造船函館ドック分会の幹部らは「リベリア向けタンカーといわれているが、リベリアはダミーに使われているだけ」と証言。

多目的船とされ、それは単なる名目で、中東戦争など有事の際、いつでも軍用貨物船に転用できる仕掛けになっていた。コンテナ、鉱石、穀類、新聞ロール紙、一般雑貨類以外ならすべて積載可能という。函館どつくは帝国海軍、海上自衛隊御用達の造船会社ではあるが、修理のみで建造はやっていなかった多目的船の建造は函館ドック造船所では初めての経験となった。

契約は一隻34億円  しかしその後の構造不況と円高の影響で一隻平均15億円の赤字となりしめて60億円前後の赤字となり函館どつくの経営悪化に拍車をかけたらしい。その構造不況とは、どつくの経験不足で技術面のミスが相次ぎ、それに加え設計ミスまで発覚し、完成の一歩手前からオーナーから船の追加注文もあり納期は遅れた。

そうしてまで建造する理由はあったのだろうか? 

しかしそれを今は置いといて艦のデータは少ないが載せておく事にする。以下のデータである。

 

主要目 全長168m 幅22.8 深さ13,4メートル 速力18ノット

計4隻が建造された。設計担当者によると、オーナーサイドから上甲板、船側については機銃攻撃を受けても貫通しない鋼板の使用、それと最高速力18ノットの高速性を持たせよ、この二つが強く要請されていた。」と話す。



一番艦が「コーベスター号」

二番艦が「デマ・スター号」

三番艦、四番艦の艦名は不明

 出典「亀は陸を走れるか 函館どつく」毎日新聞より

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※補給艦の耐用年数を考えて、まだ1隻ぐらいは現役と推測する。